業務過多に陥る日本企業『パーフェクトヒューマン病』

業務過多になる日本企業

日本のサラリーマンの気質というのが、社員の業務過多を招く原因になっている。

長い物には巻かれろ主義というのか、長い物を見付けると自分から巻かれに行きよる。

始めてこのサラリーマンの行動を見た時、『このオッサン何やっとるんや…?』と不思議に思ったぐらいだ。

中年になればなるほど、老いぼれるほどに、こういう行為は拍車がかかる。

 

自分で物事を一切判断せず、長い物の言い成りになろうとするのだ。

人の言い成りになる理由は『責任逃れ』という意識の元での行動だ。

こいつら、何か起こると必ず「あの人に言われたから」と、子供染みた言い訳をする。

この言い訳が大人の世界で通用すると思い込んでる生物がサラリーマン。

そしてこの世はサラリーマンだらけなので、本当にこんな言い訳が通用してしまう。

業務過多を作り出すサラリーマンの特徴

必要の無い業務で、社員達の手をいっぱいにしてしまうサラリーマンには特徴がある。

  • 言われたまま、ただやる
  • 結果が得られなくても継続する
  • やっている事にする・できる事にする
  • I’m パーフェクトヒューマン

言われたまま、ただやる

上の者に言われると、それをそのままやってしまう。

やる事の意味や目的が分からなくても、質問する事もなく全て「はい」と言って一生懸命になってしまう。

言われた事は全てやらなくてはいけないという単細胞な考えの持ち主が多く、目的も分からないままやるため、目的を見失っているような事をし始める。

言った事が理解できていないという致命傷を背負っているため、ズレた事ばかりしているオッサンをよく見かける。

利益に関係無い事を、丸一日かけてでもやろうという姿勢に、ご苦労さんの乾杯を差し上げたい。

結果が得られなくても継続する

上からの指示で、やってはみたけど結果が得られないとか、やったら逆効果になるというような事も仕事では多々ある。

そもそも指示を出している側も、思い付きでとりあえず試してみてという事はよくあるのだ。

しかし、これをサラリーマンは使命であり宿命と感じ、やり続けようとしてしまう。

しても意味がないという事なのに、彼らは指示を遂行するという事に価値を見出してしまっているため、止めるという決断を下す事が出来ない。

 

『言い成り』というマイクロチップを、何者かに埋め込まれたのかも知れない…。

小さい頃、UFOに吸い込まれたのかも知れない…。

それくらい、ロボットのように言い成りなのだ。

ただ、ロボットのクセに精度は低い。

やっている事にする・できる事にする

サラリーマン、それは全てを『可能』にする生き物。

やってなくても「やってますっ!」と言い、出来てなくても「出来てますっ!」と言う。

可能であるという体裁だけ作る。

 

『可能』にしなくてはいけないという強迫観念に苛まれているのが、表情に滲み出ている。

彼らはいつも、見えないなにかに追われているようにも見える。

私には見えない物が見えるらしい…見えないはずの物を見ているところにヤバさを感じる。

I’m パーフェクトヒューマン

結局、彼らは何が言いたいのかと言うと、『自分は完璧です!』と言いたいわけ。

自分しか見えていない行動しか取れない。

する必要の無い事を全て持ってきてしまい、それを全て抱え込んで「僕は完璧です」と言ってくれちゃうのだ。

 

これをやられると、業務は増えるばかりで減る事はない。

勝者の頂点が自分自身、そうTop of the World♪

Hey yo…yo!yo!yo!yo・yo・yo

I’m パーフェクト・ヒューマン♬

こういうおつもりの人達なわけだ。

自分しか見えていない、周りが見えず状況が読めない。

「はい」しか言えないパーフェクトヒューマンたち

若い頃、中年のおじさん社員が経営者に対して「はい」しか言えない姿勢に驚かされた。

何を言われても「はい」と言い、受け取ってしまうのだ。

 

業務過多に陥ってしまうような事も、何事もないかのように受け取ってしまう。

出来ないような事まで、全部「はい」と受け取ろうとする。

頭、おかしいのかと思った。

自分が良い顔をして、自分が受け取ったものを自分でできずにこっちに全て持って来る。

オッサンども、出来が悪すぎる…。

 

しかし、これはオッサンだけではない。

入社したばかりの社員でも、やはりパーフェクトヒューマン病にかかっている者がほとんど。

「はい」しか言えない。

「はい」じゃない事も、全部「はい」

結果が出せない事が分かり切っているようなことまで、全部もらおうとする。

で、自分では出来ず人にそれを持って来る。

頭、弱すぎるだろ…。

「出来ません」が言えない理由

彼らは「出来ません」が言えない。

それには理由がある。

物理的に出来る状態でも、時間もたっぷりあったとしても、どっちみち出来ないからだ。

自分がそれを出来る人間なら、出来るか出来ないかの判断は付く。

出来ない事だらけの人間は、出来るフリをする事に意識が集中してしまうから。

 

『出来ない』と思われたくない『出来損ない』だと思われたくない。

「出来ない」「分からない」「不可能」が、自分の中で禁句になってしまっているようだ。

 

やった事に対してどういう結果が出たかなんて関係ないらしく、自分がやっているという事だけに必死になってしまっている。

出た結果が悪い結果だった場合、それは判断ミスとして受け止め中止しなくてはいけないのに、良い結果を出さなくてはいけないと思い込んでいるため、その事実を伏せるのである。

全ては、自分を完璧に見せるためだけ。

自分の中で、勝手に理想の結論を出してしまっていて、事実は無視する。

 

全てを失敗していない事にしようとするおかしなクセが、業務過多を招くのだ。

パーフェクトヒューマンは、パーフェクト過ぎて「はい」しか言えないのである。

彼らはいつもどんなときでも『可能』なのである。

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