否定する人のおかしな特徴

否定ばかりする人

話しをしていると、こちらの言う事を否定する事しか頭にないような人というのがとても多くいる。

最初っから、こちらの言う事全てを否定するつもりで話しを聞いているのだ。

 

この手の人というのは、話す相手によって全否定する相手と全肯定する相手に、話す前からより分けている。

非常に偏見に満ちた性質なのかと思いきや、その偏見の源はというと、自分の意見に自信がないため、最初っから誰かの意見に添わせるという手法しか持っていないのである。

この人と同じことを言っていれば大丈夫という気の小さい人間の保身に基づく行動だ。

そして同時にみっともない自分自身を自己肯定するために、誰かの意見を全否定して不安定な精神を彼らなりに保っていると思われる。

 

全肯定するのは、自分は頭の良い地位の高い人達と同じ考えの持ち主であると装い賢こぶるため。

全否定するのは、人の意見を覆す権力の誇示と否定ばかりされてきた自分の屈辱を他者へ味合わせる事で、自分は否定ばかりされるバカではなく否定する側の賢い人であるという暗示を自分にかけるためである。

否定する人は全てがパクり意見

否定ばかりする人というのは、意見のほとんどすべてがパクりである。

自分が信頼を寄せる頭の良い人の意見や、メディアのコメンテーターの意見そのままだったり…。

大抵は、どっかで聞いたような事しか言わない。

 

自分が取得したというか、丸パクリした意見の扱い方がまあ面白い。

とても、絶対的なのである。

絶対理論としてお取り扱いしてしまう。

絶対理論や絶対倫理を常に唱えているように思う。

 

自分の意見を問われるとふにゃふにゃなのに、他人の意見には絶対的な自信を持っている。

その意見を自分の意見として発言した当事者は、あくまでも一つの意見として発言しただけ。

さほど、熱い意見でもないのである。

しかし、自分の考えを持たない者というのは、自己の自信の無さから絶対性を求め、その気持ちが強すぎて全てを絶対的にしてしまう。

 

その絶対的な自信はどこから来ているのかと不思議に思うほどだが、それは絶対性が崩壊した時に露呈する。

その意見は自分の意見ではないと言い始め、他者への責任追及が始まるのである。

「訴えてやる」系人間なのである。

自分に都合が悪い事が起きると、必ず他者への責任を追及する。

自分中心に話を進めているような者ほど、本当のところは蚊帳の外の人間なのだ。

否定してパクる面白い特徴

否定ばかりする人が持つ、かなり面白い特徴がある。

自分が全否定して潰した意見を、別の場所で自分のオリジナルな意見として自信満々な面持ちで発言していたりする。

否定したはずの意見を、なぜか自分の物にしてしいるのだ。

 

自分が叩き潰した他人の意見を、さも自分の意見としてお取り扱いする。

その様はというと、とてもいい気になっている。

自分の意見を持っている自分に酔いしれているような顔をしているように見える。

自分の意見を持つ者への強い憧れが窺える。

得意気な表情が、彼らの情けなさを増大させる。

 

この自分が否定した意見をパクるという行為を働く人は意外と多くいる。

その行為は、1つの意見を否定して肯定してるというとても辻褄の合わない状態である。

その不思議な行為で、ハッキリと分かる事。

「この人には自分の意見が微塵もない」

自分には確固たる意見があると見せかける行為が、自分は周りから賞賛される発言を持つと見せかける行為が、本当は自分が意見などない人間であると露呈させているわけだ。

 

否定してパクる…。

そんなトンチキな行為を同一人物にやってしまう人がいる。

否定した相手にに向かって、その否定した意見を自分の意見として言う…。

ついこの間、これをやられてしまったのだが…対応の仕方に悩んでしまう。

宝石を盗んだ泥棒が、その盗んだ宝石を盗まれた被害者に自慢しているような行為である。

 

一瞬『ボケたのか…?ツッコむべきか…?』と悩んだが、彼らには冗談が言えるほどのオツムは無い。

彼ら特有の正義と自信に満ちた顔が単細胞生物である事を臭わせる。

アホな人というのは、常に真顔だ。

真顔でとてもアホな事をしている事すら気付かない、そんな真剣みのある真顔がアホさを助長する。

 

他人の意見を否定したにも関わらず、その意見を自信満々に自分の意見として言う。

この行為を働く者は、自分の意見が微塵もない人の中でもかなり最強のバカである。

コメントを残す