『自分探しの旅』をする意味って?

自分探しの旅

1人で旅行をしている人がこんな事をよく言う。

「自分探しの旅です」

なんて…。

ぼっちな自分を脚色して誤魔化すような表現にしか見えないわけで…。

 

バレンタインフェアで彼氏もいないのに高いチョコを買ったり、買ってくれる男がいない女が自分にジュエリーを買う時に言うコレに似ている。

「頑張った自分へのご褒美」

いつも誰かの目を意識して生きている人が吐きがちなセリフ。

 

1人で旅行するのは良い事だと思う。

他人のペースに巻き込まれなくて済むから。

バレンタインチョコやジュエリーだって同じ。

欲しい物は欲しいんだから買えばいい。

不特定多数の人達に対する言い訳なんて用意しなくていい。

そもそも、その妙な言い訳、世間には通用していない。

四国八十八か所で『自分探しの旅』

TVのインタビューで四国八十八か所で若者が旅の目的を聞かれてこう答えた。

「自分探しの旅です」

若者と言っても、十九・二十歳の子じゃない。

30前後くらいに見える青年が、爽やかな笑顔でコレを言う。

『自分探しの旅』とやらに偏見を持つ私には、アホ満開の笑顔に見えた。

 

隣にいた知人に「アホちゃうか、あいつ」と振ると、知人が想定外の返答を返して来た。

「あの子、多分もう自分見付かってるよ」

「…」

そういや、この知人は四国出身。

 

私 「なんで見つかったって分かるの?」

四国「吹っ切れてる感じするから」

私 「四国行くと、自分見付かるの?」

四国「見つかんないよ」

「四国に来た事もない奴が四国に自分を落としていくわけないからな」

「自分なんか探しに来たって、あるわけねぇ」

私 「???」

余計に意味が分からねぇ…。

 

四国「こういう子って…仕事辞めて四国に来てるんだよ」

「八十八か所って、何日もかかるから」

「失業しちゃった子が、彷徨って来ちゃったっぽく見えるけど、そうじゃないんだよ」

「自分から人間関係を断ち切るために、仕事も思い切って捨ててきてるわけよ」

私 「ふ〰ん」

明らかに理解していない風な返事をする私に、さらに説明してくれる。

 

四国「逃げ場のない環境で人間関係を大事にした挙句に、周りの人間に振り回されて生きてきたんだろ」

「ずっと振り回されて生きてると、自分が無くなっていくんだよ」

「一緒に居るだけで、自分がダメになっていくような人っているだろ?いっぱい」

「それを失業ってリスク背負って丸ごと捨てたちゅう事」

私 「あー…うんうん」

なんか、ちょっと分かって来たかも。

 

四国「自分を探しに来たっちゅうか…自分を取り戻しに来てんだろ」

私 「取り戻せるの?」

四国「取り戻せると思う」

私 「なんで?」

 

四国「それは、過酷だから」

「しょうもない事考える余裕がなくなるんだよ」

「今まで気にしてたような事は、全部どうでもよくなるんだよ」

「どうでもええ事ばっか気にして生きてきてたって気付くんだよ」

 

「自分のやる事が全部自分のためだけの事になるんだよ、過酷すぎると」

「自分のためになる事を自分がやる」

「仕事だってそうだろ?自分のためにやるのが、働く事の本来の目的だ」

「でも、現実はそうじゃないだろ?」

 

「自分がリスク背負ってまで続けてきた仕事を捨てた時点で、自分を取り戻し始めてる気はするけどね」

「完全に取り戻すためにやるわけ」

「正気に戻るわけ」

 

働く事の目的すら分かっちゃいないような奴が、他者を自分のために使おうと群がってくるのが日本の企業の在り方だ。

他人の目ばかり気にして、自分を虚飾するのが仕事になっているような人ばかりだからな。

日本で働くと…自分を見失うよな。

自分にとって有益な人を間違えてただけ

会社の人間というのは、毎日顔を合わせ非常に近しい関係である。

自分にとって利をもたらす有益な人間関係だと思ってしまう。

通常ならば、それで正解なのだが、現実というのは非道な物でそうはいかない。

自分に害をもたらすような人間が多い組織も珍しくない。

 

四国「道の駅でみかんを100円で手に入れて~、そんな事が嬉しいわけ」

「みかんの袋に生産者のおじさんの名前が書いてあるでしょ」

「自分はみかんを100円で手に入れられて、そのおじさんは100円を手に入れられる」

「双方が共に利を得て、有益な関係性だよね」

「近しい奴って自分に害しかもたらさないのにね」

顔も知らない生産者のおじさんは、自分が売ってるみかんを誰が買ったかも知らない。

でも、自分がよく知っている人間よりも、関係性が真っ当なのである。

他人の目を気にしないと生きていけなかった自分

他人の目を気にしないで生きられたら、どれほど楽に生きられるだろう。

自分が他人の目を気にし過ぎる人間だったわけじゃなく、他人の目を気にしないといけないような環境があるわけさ。

 

四国「道の駅でいなり寿司を1パックだけ買って、それを1人でベンチでモリモリ食べてる奴がいたらどう思う」

私 「皆、ジロジロ見るんじゃない」

四国「四国の人はそういうの気にしないんだよ」

「珍しくもなんともないから」

「普通にスルー」

 

他人にジロジロ見られるから、他人からおかしいと言われるから…。

だから、何にも出来なくなる。

例え、それが自分にとって必要な事だったとしても。

 

「自分にとって必要な事を人目を気にし過ぎてできないと死ぬよ」

だって、八十八か所は『過酷』だから。

 

人目ばかり気にして生きてる人ってのは、ある特徴がある。

他人をジロジロ見て、あれはおかしいって言う人。

 

四国「四国の人はそういう人を気にしてないだけで無視してるわけじゃないよ」

「八十八か所の寺の近く行くと「こんにちは」って、やたらみんなが挨拶してくれるの」

「実家の近くにある寺の辺り散歩してたら、やったら「こんにちは」されるから、面倒くさくなってルート変えた」

私 「お前…嫌な奴だな」

四国「俺、そういうの面倒な人だから」

失敗しても次がある

八十八か所を徒歩や自転車で巡ると、必ず何かしらの失敗をしてしまう。

甘く見て痛い目に遭うのだ。

 

でも、何度でもやり直せる。

なんせ八十八もあるから。

失敗したら、それを踏まえて次に行けばいいだけ。

 

そして、意外と達成できる。

過酷だけど、やってみれば出来る事のようだ。

そして、そこで自分がやって来た事は、全て自分の意志で自分のための事ばかり。

失敗してもその失敗を自分で受け止めながら、自分のやっている事を誰に何を言われる事もなく、ただ成し遂げるだけ。

 

四国「で、最後にラスボス制覇して上がり」

私 「ラスボス?」

四国「八十八か所のラスボス高野山」

「和歌山だよ」

なんせ八十八もある…もとい、八十九である。

八十八だと思い込んで行ったら、痛い目に遭う。

 

途中でやめても全然構わない。

それが自分の意志で自分が下した決断であれば、それでいいだけの事なんだよ。

自分を早々に取り戻したのであれば、そこで中断して元の生活に戻ればいい。

過酷すぎて自分に危険が及ぶと判断したのであれば、そこで中止するのも自分のために出した自分の決断だ。

で、八十八か所ってそもそも何?

四国に八十八か所があるのは、自分探しのためではないというのは分かる。

で、一体何?

 

私 「八十八か所巡りって、そもそも何なの?」

四国「年寄りの行楽」

私 「え…?」

四国「八十八か所のスタンプ集めるダンジョン熟す行楽」

「最後にラスボス高野山のスタンプで89スタンプ集めるの」

「そのスタンプを棺桶に入れたら、極楽に行けるの」

「極楽行くためのダンジョンのステージ」

 

私 「年寄りも歩いたり自転車で回るの?」

四国「んにゃ、車」

「歩いて行ったら極楽ダンジョン熟す前に死ぬ」

 

私 「スタンプ集めたら極楽行けるの?」

四国「いけるわけないっしょ」

「ロクでもない事しながら生きてきた奴が、そんなもんで一発逆転できるほど甘くないでしょ普通に考えて」

「スーパーヒトシ君人形より調子が良すぎるわ」

 

四国「1周回ると自分の極楽行きスタンプは出来たわけ」

「そしたら、次は2周目回る」

私 「2周目回るのは、なんか意味あるの?」

四国「またスタンプ集めるダンジョンするの」

「余分のスタンプ作っておいて、知り合いが死んだ時、棺桶に入れてあげるの」

「俺、親切でしょ?みたいな」

「でも結局の所は、年寄りが友達と出掛けるための口実でしょ」

 

スマホゲームと同じ。

〇時集合でフレンド集めてダンジョンへGO!

で、スタンプ何個集まったって盛り上がって。

後は、それの繰り返し。

自分探しの旅とは

多分、『自分探しの旅』をしている人には2種類いると思う。

 

人目を気にし過ぎる人が、言い訳として『自分探しの旅』っていう、よく分からない口実を用意してるパターン。

そして、もう一つが人目を気にせず、自分なりに生きていこうとしてるパターン。

 

自分が捨てなきゃいけないのが、『家族』って人もいるだろうし。

自分がやってる仕事は好きで長く続けたいけど、歪んだ人間関係断ち切るために、会社ごと自分から切り離さなきゃいけないような人もいるだろうし。

煩わしいものに付きまとわれるなら、自分がそこから姿を消せばいいわけで。

 

他人の言う事に振り回されて、自分が無くなってしまうくらいなら、自分を振り回す他人から離れればいい。

結局、『自分探しの旅』の後、元の環境に戻る人も多いだろうが、環境が変わってなくても自分が変わっていたなら、随分と生きていくのが楽になるだろう。

自分を振り回していた奴らに、自分が振り回されようとしてた事にも気付くだろう。

 

どうでもいいような事をいちいち人に向かって言ってくる奴らに対して、こう思えるようになるだろう。

「それが何?」

それでもごちゃごちゃ言ってくる人にこう思うようになるだろう。

「そんな事、どうでもいい」

 

終いには、顔にハナクソが付いているのを指摘されても

「付いてるんじゃない、付けてるんだ!」

俺のやる事に文句があるのか的な。

自分が付けていると言い張った以上、1日中ハナクソを付けて過ごす、そんな勇気が欲しものだ。

このくらい図太くなれれば、生きていくのも楽だと思う。

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