なぜ、人を介してしまうのか?
管理職が取る行動で、非常に独特な不思議な行動がある。
社員とコミュニケーションを取る際、人を介してやろうとするのだ。
Aさんに言いたい事を、Bさんを呼んでBさんの口からAさんに言わせる。
Bさんにやらせる事を、なぜかCさんを呼んでBさんにやらせるように命じるのである。
管理職はいちいち遠回しに、当事者ではない人物に自分の会話の代理を頼むのだ。
その場に当事者がいるにも関わらず、別の人間を探し出してまでそうする。
言いにくい事を自分の口から言わずにいい人ぶろうとしているのだろうか?
性根が腐りきったような管理職ほど、必ずと言っていい程この手段を取る。
人を介さなきゃ社員と話せないような人に、業務で何が務まるのだろうか?
居なくていい気がするが…?
『間接的コミュニケーション』を好む管理職
管理職は「仕事をやらせるのが仕事」なんていう奴もいる。
そのせいか、ただただ「やれ!」とアホでも出来るような事をやり出す輩ばかりだ。
社員が業務を遂行するために、管理職の自分がやる事が何なのか分かんないのだ。
管理職として自分のやる事を見つける能力が備わっていないという事。
向いてもないのに管理職なんぞやらせると、見られたもんじゃないというおバカさんが、日本の企業には大量にいるのである。
なぜ、いちいち自分のための仲介社員が必要なのか。
仲介に利用されている社員は、見ている限り『手下(てした)』のようである。
「自分は言うだけ、後は手下がやってくれる」
こういう感覚を持っているようだ。
手下である仲介社員は管理職の腰ぎんちゃくの側近というより、丸投げされる下請け業者のようである。
引っ付き社員と一緒に引っ付いてる管理職は、人を介して何かする人。
そう認定していいだろう。
そしてその仲介下請け社員もあろう事か、それをまた誰かに丸投げしてたりする。
管理職が役に立たない奴の場合、そんなのにくっ付いてる手下はそいつよりも役立たずだ。
出来損ないは自分よりも出来損ないを下に付けたがるため、出来損ないのやる事がさらに最悪の出来損ないという結果になりがち。
間接的コミュニケーションを取りたがる理由
人を介して何かをしたがる人というのは、必ずいらぬ思惑を持っている。
そんなの傍から見てれば分かる。
ロクな真似してねぇって事だ。
- 自分は言うだけ
- 言いっ放しで済む
- 相手の意向は無視できる
- 意味の無い事に意味あり気に時間稼ぎ
- 責任転嫁するため
業務に対して自分の好き勝手に関与しようとしている分けである。
管理職のくせに…。
自分が介入したい時だけ自分勝手に介入して、関わりたくない事には自分は知らないをかませるという状況作りが出来るのだ。
会社の中でそんな自由奔放な事をしている奴など、必要な人材ではない事ぐらい自分で分かれよ。
管理職ほど「自分は知らなかった」という子供染みた言い訳をよく使うだろ。
『知らなかった自分に責任はない』
この思考に自信をお持ちのようで…。
自分は言うだけ
自分は言うだけで、後は誰かがやってくれる。
そんな状況は通常、金を支払って業者さんに頼んだ時くらいのはず。
なのに、会社で金を貰いながらこういうマネをするため、サラリーマンの常識の無さは計り知れない。
ホステスの態度を本気にしてしまうアホな男は、自分が金を払っているからだという事が分かっていない。
要するに、金を払って受けるサービスの存在を知らないという事。
「この人は自分のためにやりたいんだ」とか
「この人は自分の事が好きなんだ」などという勘違いとしか言いようのない判断しか出来ないわけ。
それと同じ事で、自分の会社の社員は自分のために働いていると思ってけつかっているのだ。
自分が他の社員や自分の部下と同じ、雇われサラリーマンであるという事が理解出来てないという有り様。
サラリーマンというのは、想像を絶するほどバカなんだよ。
言いっ放しで済む
人を介して何か言うというのは、話すべき相手が自分の目の前にはいない。
間接的コミュニケーションというより、そもそもコミュニケーションではないだろうこんなのは。
自分が思い付きで言ったバカな事に対して、いちいち細かな事を確認してきたりされると面倒なのであろう。
自分の発言に内容が無いなんて奴は、相手が不審な顔をしたり質問攻めにされたりなんてのは耐えられないんだろ。
言いっ放しでいい状況なら、好き勝手にバカな事を言える。
そんなバカな発言を意味あり気に言って、まともに聞いてくれるのを仲介屋の下請け社員と認定したのだろう。
バカな自分に優しい人としか関われないんです。
相手の意向は無視できる
相手のいないコミュニケーションのため、相手から意見や意向が伝わってくる事はない。
非常に、一歩通行で好き放題言えるのである。
そのせいか、間違えた事を言っても「間違えてますよ」と訂正してくれる人がいないため、間違えたまま暴走しているような事も多々ある。
結構な格好悪さである。
そんな格好悪い事になった自分が自分でやりきれないらしく、余計に相手の意向に耳を傾けまいとし暴走し始める。
やけっぱち感が否めない。
恥をかきやすい人は、人との接触を怖がり、一人でやけっぱちになりやすい。
「部下に恥をかかされた」という思いが強いようだが、全て自分一人のセルフ行為である。
時間稼ぎ
意味の無い事をさも意味あり気にお題にしてしまう。
サラリーマンが仕事をせずに時間だけを稼ぐ典型的な行為。
どうでもいい事にしか熱中できない。
どうでもいいような事しか分かんねぇから…。
意味の無い事にしか一生懸命になれない。
一生懸命に重きを置き、意味がないという事は考慮出来ない。
意味の無い事をとても意味あり気に話すのが、この手の管理職の特徴でもある。
他の社員の前でお題をいちいち大きな声で下請け社員に言い付けるのは、自分なりの管理職アピールだと思われる。
「僕、管理職っぽいでしょ」的な雰囲気を醸し出そうとしているのである。
そういう思惑行為がそもそも何の意味もない。
責任転嫁できる
下請け社員に全てを委託してしまう管理職は、必ずこういう事をやる。
自分が言った事を達成できないという状況が生まれると、下請け社員を責める。
「お前がちゃんとしないからだ!」
「お前、あいつにちゃんと言ったのか!」
自分は高みの見物する立場であると思い込んでいるのが分かるセリフを吐き始める。
「自分は関係ありません」
「自分のやる事じゃありません」
これがお宅の会社が管理を任せた人材のお粗末な頭の中身。
「あいつのせい」「あいつが悪い」
この手の管理職は行動そのものが、言い訳をしようとしている事をするのである。
間接的コミュニケーションは要らぬ事を生み出す元となる
間接的に人を介してしか業務に関われない管理職。
というか、業務に関われないが故に、どうでもいいような事に介入しようとする管理職が居るだけで、職場ではその管理職がネックとなり、肝心の業務は滞り社員同士の関係性が破壊される。
- 必要のない会議・セッション
- 社員に無償の忠誠心が生まれる
- 社員同士が揉め始める
社員と直接コミュニケーションが取れない管理職というのは、よく社員を問題視するという事を自分の業務にしている。
関わるまいという気持ちからか、一定の距離を置いて社員を観察というか傍観し、いちいち問題点を自分の中で挙げ始めるのである。
問題点には、その場で口に出せないような事柄も多く、もしそんな事を口に出したら、自分がバカだと思われるような事もとにかく多い。
そんなバカ丸出しの事を意味あり気に真顔でぬかす自分に対して、真剣に相手してくれるバカ達と問題点について議論したりセッションしたりして、仕事してる感に浸ろうとしているわけである。
内容の無い会議やアホなセッションというのは、「それ、仕事ちゃうで」とツッコめる適切な対応が取れない者たちで行われている会社の恒例行事である。
会議室に籠ってしまいご内密に行われる会議程、内容がアホ満載である事は誰もが気付いている。
表向きに社員達の前で行われるセッションも、見せかけである事は誰もが知っている。
それにいつまでも気付かないのは、そいつだけという有り様。
間接的なコミュニケーションを取る管理職には、非常に忠誠心のある社員が傍にいる。
その忠誠心の危険なところは、『協調』ではなく『同調』によるものであるという事。
間違えた事を言っても、アホな事を言っても、全て実行に移し遂行しようとしてしまう。
どうして、そのような無償の忠誠心が生まれるのかというと、おバカさんな管理職というのは自分の言い成りになる人間を『優秀』だと判定する傾向があるから。
本当はバカのクセに『優秀な社員』という扱い方をされるため、おかしな忠誠心を芽生えさせおかしな行為を遂行しようと頑張り始めるのである。
それが原因で他の社員達からの信用は失い、バカというレッテルを貼られている。
間接的コミュニケーションを好む管理職は、多くの社員から軽視されている。
ある意味、社員達から軽視されている自分を肌で感じているが故、社員と直接コミュニケーションが取れないのかも知れない。
自分に自信が持てない人間というのは、自分の行動全てがその原因を作り出すルーティンとなってしまっている。
間接的に社員と接する管理職というのは、仲介社員を介して周りの社員達をコントロールしようとしているわけである。
物事が思い通りになど行くはずもなく、その原因を仲介社員に擦りつける姿はよく見かける。
自ら実行遂行する能力に欠けている人というのは、全てが「他人のせい」であるからだ。
間接的に人と関わる奴というのは、前提として『自分は完璧』という自分で自分を勘違いできる状況を作っているからだ。
「お前のせい」にされた仲介社員も同じ。
物事がうまくいかないのは、それを忠実に遂行できない社員のせいだと言い始める。
こういう管理職に擦り付いて行って仲介屋をやり始める社員というのは、忠誠心が強すぎて自分のお仕えしている管理職がバカな行為を働いている事には気付けない。
バカ管理職には、バカ社員しかくっ付いて来ないから。
バカな管理職の言い成りになってバカな事を遂行しようと頑張る仲介社員。
そのバカどもに仕事の邪魔をされる社員達。
そら、社員同士揉めるわな。
そんな状況が生まれても、バカの司令塔となった管理職は自分がやった事が分かってはいない。
だって…都合の悪い事が起きるのは全部『あいつのせい』って人だから。
どうして管理職のクセに社員と直接接触出来ないのか?
間接的なコミュニケーションしか取れない管理職も、稀に何を思ったのか直接関わってくる事がある。
大抵が良くない結果を生み出し、その現実が受け止められず、余計に自分の中に籠ってしまい、間接的に接触する事にこだわるようになる。
なぜそういう結果しか生まれないのかというと…
スカタンばっかり言ってくるからである。
間接的にコミュニケーションを取る管理職は、言う事のほとんどがスカタンなのだ。
『お前…何言ってんの?』的な表情を浮かべられたり、「はい」と言われず「はぁ…」と微妙な返事を返されたり。
そういう社員達の態度に、心が折れちゃってんですね。
その折れた心を守るために、直接接触する事を避け間接的に接触してくるわけですよ。
翼の折れたエンジェルなんですよ。
飛ぼうにも…もともと飛び方なんか知らないエンジェルたちなんですよ。
飛んだ事なんかないから、スカタンばっかり言ってくるんですよ。
飛んだ事があるなら、スカタン発言なんかしないんだよ。
間接的コミュニケーションの根源にある理由
- 社員の仕事が理解できていない
- 自分で何も出来ないから思い通りにならないと気に食わない
- 嫌われるのが怖い
- 人の好き嫌いが激しい
- そもそも管理職が何をするのか分かってない
社員のやっている業務を理解出来ている管理職は少ない。
業務の内容も流れも、誰が何をやっているのかすら分かっていないような者も少なくない。
こんな人間に指示など不可能。
言う事全てが的外れなのはそのせい。
自分が何も出来ない人は、人が自分の思い通りに動いてくれないと気に食わない。
自分でどうにかするなどという芸当は備わっていないため、感情だけが爆発しやすいのだ。
「とにかく自分の思い通りにしてやる~」という怨念に満ちた感情を、人に向けるのである。
しかしながら、その手法は『間接的』という腰抜けっぷりを発揮する。
間接的に社員に接する管理職は、人から嫌われる事に非常に怯えている。
なぜなら、人から嫌われやすいからだ。
バカだから…昔から人にウザがられて生きてきたんだろう。
彼らは人の好き嫌いがとても激しい。
その原因は、自分が嫌われるのが怖いという性格からだと思う。
人をまず嫌うのである。
自分が嫌われる前に、自分から嫌う事で自尊心を保とうとしているのだ。
相手が自分に対して忠誠心などを垣間見せると、相手の事を非常に好む傾向がある。
よほど自分に自信が無いのだろう。
人の好き嫌いが激しい人というのは、相手の態度ばかりを気にして生きているのである。
そして、自分に対して好ましい態度を取る人間を好むと利用しようとし始める。
自分のための仲介屋として利用する。
そういうところが嫌われてる事に気付いていただきたいものである。
バカな奴というのは、管理職が何をするのかも分からないクセに管理職になりたがる。
そして結果として、やる事が分からない管理職が日本企業には大量発生する。
人と直接関われない管理職の下には管理職が生まれる
管理職の下に微妙なポジションの肩書きを持つ社員というのが多数いる。
「リーダー」とか「サブマネ」とか「主任」とか、組織によって呼び名も色々だ。
組織というのは、なぜか管理職を生みたがる。
自分より位が上の管理職は嫌うが、自分より下の管理職は自らが欲するのである。
この手の微妙な役どころは、『自分がやりたくない事をやらせる奴』である。
本当に…微妙な奴である。
なぜ、役職を与えてまでそういう人間を作りたがるのか?
それは、自分のために仲介屋をやってくれる人間を固定化する事で、自分に絶対が生まれるからである。
絶対に直接関わる事がなくなるからである。
『社員に直接関わらなくて済む』+『業務に直接関わらなくて済む』=『自分のプライドが保てる』
これが、間接的に社員と接する管理職の心理状態の方程式である。
知らない事や分からない事から逃げられて、僕安心♡という方程式。
安定志向を求めるサラリーマンならではの方程式である。
そして、その方程式は営利団体という会社組織にはそぐわないため、常識的に考えると間違えた方程式でもある。
間接的コミュに走る管理職は社員達からこう見られている
間接的に社員に接す管理職が、周りの社員達からどう見られているのか。
間接的に人を介してしまうと、相手の反応も意見も汲み取れなくなる。
自分で自分が分かっていない状況にいるという事。
あんた、こう思われているから。
- 気持ちが悪い
- ストーカーっぽい
- 関わりたくない
自分の言いたい事を人を使って言ってくる。
そういう人間というのは、そのやり取りの様を少し離れたところからジトーっと見ている。
非常に、気持ち悪いのである。
ジトーっと見ているその様を見ていれば、言わせているのがそいつだと丸分かり。
自分が言いたい事を言わせ、そのやり取りの最中に会話にも入って来ず、ただただジトーっと見ているのである。
非常にキチっぽい行為であると周りは思っているのに、自分ではそうは思わない所がこれまた重症のキチっぽさを醸し出す。
彼らは非常にストーカー気質を持っている。
直接関わって来ず、間接的なクセに執拗に関わろうとしてくるあたりは、ストーカーとやっている事が同じである。
社員達の会話に聞き耳をたて、その会話の内容で揚げ足を取ったり、会話に入ってきても無いくせに、その会話の話題を持ち掛けてきたり…。
ほんま…やる事なす事全部が気っ色い。
人を介さないと話も出来ず、こちらから話をしていってもまともにやり取りも出来ず、挙句の果てにそれをどうにかしようと思ってか気っ色い行為を働き出す。
間接的コミュニケーションに走る管理職は、他の社員にとって気色の悪い存在なのである。
キモいから誰も関わりたくないのである。
まともに人と関われないなら、関わって来なくていいのである。
間接的に人をと接する人は行動のがスカレートしてしまう
間接的に人に接する人というのは、自分の言っている事の真偽が分からなくなっていく。
『否定』や『反論』を避けているせいで、『自分のための意見』をも遠ざけているからだ。
他者の反応が皆無なため、全てが一方的で方向性を定めるための道筋が見付けられないのである。
しかも、相手がいないという事は、反応がないという事でもあり、手応えが無いため『完璧』『パーフェクト』を無心に求めてしまう。
過剰要求ばかりを身勝手にやっているという人。
「何がなんでも」
「こうあるべき」
そしてそれがエスカレートしていき、こういう思考を持ち始める。
「自分のために」
「自分のために、何がなんでもやれ」
「自分のために、こうあるべきだ」
なんで給料もらってるご身分のサラリーマンのために何かしないといけないんだ。
こいつ、どういうつもりだ。
どうしてこんな身勝手な自分を勘違いしたような考え方になるのか。
それは、何も出来ない何も分からない人というのは、周りの人に全てをやってもらう事がクセになってしまっているから。
何も出来ない自分のために周りの人が代わりにやってくれていた、という状況がこの手の人物には現実としてあるからだ。
『間接的』って、誰かに代わりにやってもらうって事だろ?
これをやってしまう管理職というのは、会話すら他人にやってもらわないと出来ないって事なんだよ。
間接的にコミュニケーションを取る管理職って『コミュ障』なんだよ。
こういう気色の悪いバカに限って「コミュニケーション能力の向上」とか、社員に向かって言い出すんだぜ。
物事がうまくいかないのは、全部「他人のせい」だからな。
コミュ能力が無いのは自分じゃなくて、周りの奴だって言い出したんだよ。
人を介してしか喋れないような奴に限って「コミュニケーション」とか言い出すからな。
ほんま…ビックリするわ。