相対的剥奪とは
相対的剥奪というのは、絶対的ではなく相対的な環境で起きる価値の剥奪。
人と比べて自分が「損してる」とか「劣ってる」と感じて不満を抱く事。
十分すぎるほどの生活が出来るだけの収入がある人間ほど、金に不満を抱えている。
十分すぎるほど社員に対して施しをしても、依怙贔屓してくれない事に不満を抱きよる。
人が抱く不満は、その人の置かれる境遇の絶対的な劣悪さによるのではなく、主観的な期待水準と現実的な達成水準との格差による、という考え方。この考え方によれば、人は自らの行動や態度を決定する際に、その指針となる基準を必要し、それを集団や個人に求める。
自分で勝手な水準を決め込んで、その自分勝手に決めた水準を自分が達成できないという有り様に対して、己が抱く身勝手な不満。
こういう事でしょ。
そしてその不満を人に向けるという事でしょ?
自分が達成できそうもない事を、人に達成してもらおうという呆れた行動を取るという事でしょ?
満たされるほどに不満を抱くのが人間ですか…
サラリーマンが欲しがるもの。
それは『地位と名誉』
いわゆる役職という肩書である。
それらを失ったサラリーマンは、ただのオッサンである。
現実、ただのオッサンであるサラリーマンという生き物は、自分がただのオッサンであるという事実が受け入れられず不満を抱く。
そんなオッサンたちと共に働く女性たちも、近年は同じ不満を抱いているもよう。
等身大の自分が受け入れられない人達大量発生。
値打ちのない自分だから、値打ちを付けたいという願望に苛まれているのはよく分かる。
『相対的剥奪』の調査による結果がコレ。
社会学者マートンが論文で挙げた、アメリカ兵に対する調査の結果が例として分かりやすいだろう。
第二次大戦中のアメリカ兵の態度・感情・行動の調査から、一般的に思われることと相反する結果が出た。例えば、航空隊は憲兵隊より昇進が早いにもかかわらず、航空隊の兵士には憲兵隊の兵士よりも昇進に関してより多くの不満が見られたのだ。
こうした不満が生まれる理由が相対的剥奪という概念に求められる。
憲兵隊に不満が少ないのは、自分と同程度の教育レベルでありながらまだ自分の地位より下の兵が8割もおり、彼らと比較して優位を感じていたからである。また、航空隊に不満が多いのは、自分と同程度の教育レベルで、同レベルの地位に留まっている兵が約半分しかおらず、同教育レベルなのに地位が上位の兵に不満を感じていたためである。
実際、こう言った光景を日本の企業で見た。
肩書きをぶち撒いた大手メーカーの社員は常に不満を抱いており、身分不相応な肩書きを手に入れるために他者に対して不満をぶつけていた。
欲しがるものを手に入れて喜んだのも束の間、直に他の者はもっといい物を手に入れているという状況が許せなくなる。
自分よりも劣る社員を小馬鹿にするも、その社員に自分がいつ追い抜かれるかという恐怖に苛まれているような言動も垣間見える。
自分よりも上位に位置づけられた社員に対しての不満を、自分よりも下位の社員に対してぶつけていくという卑怯者の集まり。
管理職の肩書きを付けたサラリーマンが、自分の身勝手な不満を部下に押し付けるなんて…。
しかも、そんな幼い感情を部下に受けてもらうなんて…。
どいつもこいつもが、肩書き付けたのが失敗でしたという人材に成り下がってんだが…。
自分が一番じゃない…。
そんな環境下の中で自分の価値が見出せず、相対的剥奪感を抱くようになるのである。
頑張って頑張って、どれだけ頑張っても、頂上に立てない。
頑張って頑張って、頑張り抜いても隣の奴に勝る事が出来ない。
自分の欲しがるものを手に入れた途端、自分のレベルの低さを思い知るという状況に立たされてしまうのだ。
自分が欲しかったのはスペシャル感溢れるポジションだったはず。
でも、それを全員に与えると、ただのランク付け。
自分のランクの低さを思い知っただけ。
ポジションを与えると喜ぶ。
でもそのポジションに不満を持ち始めるのは、ただランキングされただけから。
役職や肩書を手に入れる事で、自分の事を『特別で秀でた人間』だと思い込ませてしまう。
そんな勘違いの思い込みが元となり、ただの並のオッサンは苦しみと憎しみを交錯させ始める。
そんな苦しみや憎しみを他者に向け、ついでのどさくさ紛れにプライベートな家庭の不和まで盛り込む始末。
所詮、自分の取った行動で起こった事すら始末がつけられないような人間。
自分の後始末すら出来ない人間が、特別で秀でているわけがない。
彼らが望んでいるのは、『平等』
彼らの言う平等というのは、自分だけが得をしている状態の事。
他人とは違う扱いを、自分だけが受けるという事。
客観的な平等と主観的な平等は全く別物なのだ。
肩書きを欲しがるのは、他人が持ってる物を俺もくれという心理。
そして肩書きを与えると、やはり他人の肩書きを見て俺も欲しいが始まるわけ。
そして終いには、自分だけの特別な扱いを求め始める。
エンドレスの意地汚さを発揮し始めるだけ。
その原因は全て、自分の中に『相対的剥奪感』を常に感じているから。
そんな相対的剥奪感を感じる社員の多い中、そんな感情を抱いていない社員がいた。
彼に付いている肩書きは、その会社の中で一番の底辺である。
ほどんど平社員がいない組織の中で、底辺の肩書きを持つ40代中頃の中年社員。
どうやら、彼は自分に肩書が付いているという事だけに満足気な様子。
通常まともな企業なら、仕事がデキる社員ですらそう簡単には役職は付かない。
でも、ポンコツなのに肩書きを持つ彼は、社外で自分の肩書きに満足できる環境があるようだ。
子供の通う学校のPTAの集まりで、娘の友達の見た目からして聡明そうなお父さんに、だらしのない見た目の自分が持つ大手メーカーの肩書き付きの名刺を渡してご満悦なようだ。
こんな事に、満足している者も存在している。
こんなポンコツな彼は、管理職の役割など知らない。
やる事が分からず右往左往し始めた新入社員に、こんな事をしでかす。
新入社員「何をすればいいですか?」
ポンコツ「ああ、いいですから。どうぞ、くつろいでいてください」
新入社員「え…でも…」
ポンコツ「僕が指示を出すと、他の人に怒られるので」
新入社員「…」
ポンコツ「教育担当の人が営業先から戻ってくるまで、ゆっくりしていてください」
そう言われ、何時間も放置状態にされる新入社員。
管理職であるはずの彼のポンコツな香りを感じてしまい、それ以上何も言う事も出来ない。
時間経過とともに、新入社員はますます戸惑う。
しかしながら、このポンコツ男に肩書を付けたのは会社の仕業。
そして、この男が何かするたびに、男のやる事にケチをつけるのは他の肩書きを持つ社員達。
この様子を見ている社員で、新入社員にやる事を教える者はいない。
そんな知らぬ存ぜぬな社員たちは、全員が管理職という有り様。
全てを『事なかれ主義』の元、何も施さないし何もしないという主義を貫く事に専念している。
『何もしなければ、何も言われる事もない』
そう心に念じて時間を過ごそうとするのが、サラリーマン管理職。
こんな環境の中、新入社員は育つはずがない。
しかしながら、新入社員を見ていると、職場の人達に馴染み始めている。
『業務の話などはしない』という暗黙の了解を心得たようだ。
業務の話をすると先輩や上司が怪訝そうな顔をする事に早々に気付いたようだ。
そんな彼は、この組織の中においては、昇進しやすいタイプだろう。
そして、もし仮に転職をして別の組織に属すると、ほぼゴミ人材となるだろう。
会社に噛り付く事に専念するんだ、先輩や上司のように。
仕事もせずに、ポジション争いの小競り合いを職場で繰り広げる事に執念を燃やせ。
こんな新入社員を小馬鹿にしてはご満悦な表情を浮かべているのが、彼に教育も施せない先輩や上司たち。
アフター5で遊び馴れている自分を、新入社員を利用して皆の前で自慢する。
新入社員のスーツを小馬鹿にする事で、自分はいい物を持っている自慢が始まる。
バブル時代の業績を、未だに引きずり自慢する。
彼らは、自分が無い。
彼らには、今が無い。
自慢できるものは、身に付けている物品と過去だけ。
自分じゃないものに縋りつく姿に、哀愁を感じせる。
自分と同等のランクいたはずの同僚と比べて価値がないから。
さらには自分の後輩や部下より価値がない事を、自分の保有する肩書きが示してしまっている。
あれほど欲しがっていた肩書きを与えてやった社員たちはこうなってしまう。
名前負けしちょる。
肩書きに押しつぶされちょる。
格差を許せず、格差を欲しがるのが相対的剥奪感
「自分の業績を評価してください」
「私の実力を認めてください」
こんな事を求めてきたのは、何を隠そうサラリーマンたち。
そんなサラリーマンが求めていたのは、『平等』のつもり。
しかし、自分達が求めていたもの本当のところは『格差』
平等に扱ってくれと訴えながら、格差を欲しがってくる。
自分にとって平等と感じるものは、他人にとって格差と感じるもの。
そして、その格差を他人に感じさせるほどの実力は備わっておらず、自分で実感するという愚かな結末を迎えたわけだ。
相対的剥奪感を感じ続ける事になってしまったサラリーマンたち。
契約を逃した中年社員の横で、新入社員が契約を取る。
まぐれだろうと甘く見ていたら、再び同じ事が起こる起こる起こり続ける。
嗚呼、相対的剥奪感。
歩合給で生きている彼らは、給料に格差を如実に感じるようになる。
稼げない自分が定番化してしまい、契約が取れる事を特別な状況だと感じるまでに成り下がる。
大手メーカーの看板首からぶら下げてるのに、契約取れないなんてあり得ないんだが…。
実力がまんま数字に表れる職種に就く者ほど、自分の実力の無さに精神が追い詰められる。
精神が崩壊してクラッシュ&スランプに陥る営業マンは多い。
ポコポコとパソコンを打つ正社員の横で、昨日やって来たばかりの派遣社員がタッタカタッタカ軽快にキーボードを叩く。
嗚呼、相対的剥奪感。
収入の多い正社員の自分の仕事の熟せなさ…給料泥棒な自分に気付くけど気付かないフリで生きていく。
実力を認めてくださいなんて口だけアピールして来た社員の実力って何?
入力作業終わらせた派遣社員は、次から次に別の業務をさばいていく。
自分は1日中パソコン打ってる…給料泥棒。
他人を押しのけ、自分を過剰評価してやっとこさ手に入れた身分不相応な役職。
そんな役職を手に入れてしまうと、その上層の役職たちの仲間に自分も入れる。
そんなステータスをサラリーマンは欲しがり、自分の身を置きたがる。
そして、その自分の置かれた状況に、相対的剥奪を感じ始めるようになる。
上の下に自分を置くと、中の上だった頃の自分の方が幸だったと懐かしむ。
あの頃は人を虐げ罵り楽しかったのに、今は小馬鹿にされて相手にしてもらえない。
社員の意見をバカにするのが仕事だった自分が、今度は発言をバカにされ屈辱感に包まれる。
嗚呼、相対的剥奪感。
言う事全てをバカにされる毎日。
かなり無理して手に入れた役職。
もう、これ以上は上がれない…そんな自分にも気付いている。
これからずっと、バカにされ続けるのが自分の背負った宿命。
ロクに実力も無いハッタリだけで人生を送って来た自分にお似合いの宿命。
仕事場なのに業務で誰にも勝る事のない社員は、業務から外れた事で勝とうとし始める。
新入社員の来ているスーツが吊るしの安物だとバカにする。
派遣社員の来ている私服がダサいと陰でコソコソ噂を立てる。
それがエスカレートして、質の悪い社員たちの定番の話題となりつつある。
悪乗りが災いして、とうとう服装チェックを業務とし、業務上の確認を上司のような口調でやり始めた。
新入社員のスーツは、オーダーメイド。
派遣社員の私服は、有名メーカーのもの。
こんな事実を見せつけられる。
服なんて誰でも分かるような事しか話題に出来ない自分は、ロクに服を揃える店も知らないような人間でした。
自分がダサい事すら、忘れてた…。
嗚呼、相対的剥奪感。
そんな彼らは、自分の給料が多い事を自慢し始める。
非正規社員やパートに『給料泥棒』だと揶揄されている。
でも、陰で言われてるから気付かないう幸せな状況下ではある。
収入が低く生産性の高い人間に相対的剥奪感を感じさせる事に成功した。
自分が能無しだという既成事実に相対的剥奪感を感じながら、他人からくすねた金をひけらかし相対的剥奪感を感じさせる。
なんだか、悲しい自虐ネタに見える…。
自分がバカにしていた人間から、陰で『給料泥棒』と揶揄されている事を知ってしまう。
嗚呼、相対的剥奪感。
自虐ネタを披露していた自分に後悔の念。
他人に相対的剥奪感を感じさせてやろうとするがあまり、自分が相対的剥奪感に苛まれるようになる。
なぜか、相対的剥奪感を他人に強く投げつけると、自分に向かってさらに強く跳ね返ってくる。
スーパーボールのようである。
自分の目の前の壁に向かって憎しみ込めて投げつけたスーパーボールは、自分を憎んでいるかのように凶暴に襲い掛かってくる。
スーパーボールは何もしてはいない。
壁も何もしてやしない。
やったのは全て自分。
100%全て自分のせいで起こった事。
なのに、他人のせい。
隣の芝生は青く見える病?
人の持っているものが羨ましくて仕方ない。
自分の持っていないものほど、欲しくて欲しくて仕方がない。
日本企業は、そんな彼らに青い芝生を与えてあげた。
でも彼らは満足できない。
隣の芝生が青く見えてしまうわけじゃない。
自分の芝生を枯らしてしまうのだ。
隣の芝生は青く見える病のようで、隣の芝生は青く見える病じゃない。
自分の芝生は茶色い病だ。
与えれば与えるほど、与えたものを全てダメにしてしまう。
せっかく与えたものを、全てダメにしてしまう。
与えたら与えただけ、ダメにしてしまう。
青と茶色は相対的に違う。
絶対的にも違うであろう。
満たされれば満たされるほど、人は不満を感じるようになる。
満たしちゃいけないんだよ。
満足度を高めると、過剰要求するクレーマーに変身する。
満足を自分で作り出せない人間は、他人を使って満足しようとし始める。
満足する環境で満たされるなんて現実にはない。
満足させると枯渇する。
相対的剥奪感に苛まれているサラリーマンは、いずれ絶対的剥奪感を保有する人材となり得る。
そいつ、もう枯れてるよ。
相対的に何かと比べなくても、絶対的に茶色いわ。
いい加減、捨てたら?
満足させようとしたから、お宅の社員は枯渇したんだ。
だから、カサカサで茶色いんだ。